「よく育てましたね」の罠。子どもの結果で自分を測るのをやめたとき、本当の人生が始まる

「よく育てましたね」の罠。子どもの結果で自分を測るのをやめたとき、本当の人生が始まる

「よく育てましたね」

子どもが難関大学に合格したとき、名の知れた企業に就職したとき。周囲からかけられるこの言葉は、長年子育てを頑張ってきた母親の心を確かに満たしてくれます。

しかし、少し立ち止まって考えてみてください。 この言葉が向けられているのは、正確には「子どもの結果」に対してであって、「母親自身」に対してではありません。

それなのに、なぜ私たちは自分の価値が認められたように感じてしまうのでしょうか。そして、子育てが一区切りついた瞬間に、なぜ言いようのない「空白」に襲われてしまうのでしょうか。

目次

子どもの結果を「自分の価値」に変換する物差し

子どもが小さいうちの進学や習い事から、大きくなってからの就職まで。私たちは無意識のうちに、子どもの結果と自分の価値を同じ物差しで測ってしまいがちです。

この物差しの上では、子どもへの賛辞はそのまま「自分への賛辞」に変換されます。

子育てが続いている間は、この変換システムがうまく機能します。進学、就職と、変換するための「材料」が次々に供給され続けるからです。問題は、子どもが自立し、その材料が尽きたときに起こります。

材料が尽きたとき、目の前に現れる「空白」

子どもが手を離れたとき、多くの女性が深い迷路に迷い込んだような感覚を覚えます。 しかしこれは、急に自分を見失ったわけではありません。

もともと「自分自身を測る物差し」を持っていなかったという事実に、ただ気づいただけ。

子どもという材料の供給が止まった瞬間、「では、私はこれから何を成し遂げたいのだろう?」という問いが突きつけられます。しかし、他者からの評価でしか自分を測ってこなかった人にとって、この問いに答える物差しはありません。自分が本当に欲しいものが、すぐには言葉にならなくなってしまうのです。

「良い結果」を出した母親だけの問題ではない

この構造は、いわゆる「優秀な子ども」を持つ母親だけのものではありません。

  • 子どもの進路選択に、自分の評価がかかっているようでピリピリしてしまう
  • 子どもが思うような進路を歩まなかったとき、「育て方が悪かったのでは」と自分を責める

これらはすべて、根っこは同じです。 子どもの結果の良し悪しではなく、「子どもの結果を、自分の価値の証明として使っているかどうか」。そこに、苦しさの本質があります。

私たちが受け継いできた「測り方」の歴史

なぜ、私たちはこれほど他者の目を気にしてしまうのでしょうか。それは、私たちの親の世代から受け継がれてきた価値観が影響しています。

良い学校、良い会社、良い暮らし。 「周囲からどう見えるか」がそのまま自分の価値になるという測り方は、高度経済成長期を支えた合理的な仕組みでもありました。この物差しを頼りに、多くの家庭が安定を手に入れてきたのも事実です。

ですから、この価値観を持っている自分を責める必要はまったくありません。 ただ、その物差しは「自分は何を求めているか」を測るための道具ではなく、「周囲にどう評価されるか」を測るための道具だった、というだけのことです。

物差しを手放すことは、これまでの否定ではない

今さら自分のために何かを始めようとすると、内側からこんな声が聞こえてくるかもしれません。 「今まで子どものために生きてきたのに、今さら自分勝手にしていいのだろうか」

世間体を大切にしてきた分、そこから外れる恐怖は大きいものです。誰もあなたを責めていないのに、自分自身が自分を裁いてしまう。

しかし、これまでの人生や選択を否定する必要は一切ありません。その時々で、あなたは一生懸命に選択し、その選択には確かな意味があったからです。

必要なのは、これまでの自分を否定することではなく、次の章を生きるための「新しい物差し」を、自分の内側から見つけること

これからは他人の目ではなく、「私はどうしたいか」で選んでいい。子育てという大きな役割を終えた今こそ、あなた自身の人生を始める最高のタイミングです。

本音に出会える45分

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